日本テレビ視聴率不正操作問題の「空気」と「視聴率至上主義」

■日本テレビの視聴率不正操作問題で昨夜NHKラジオのニュースを聞いていたら、調査委員会の報告では「視聴率重視の空気が不正の引き金になった」と指摘されているなんていうことを言っていた。「空気」である。
じっさいに日本テレビのWebサイトに掲載されている「『視聴率操作』に関する調査報告書」を読むと、本当に「視聴率重視の空気」と書いてあるではないか。その部分を引用してみる。
「視聴率により番組制作能力が評価され視聴率に貢献することが人事評価にも必然的に反映されざるを得ない視聴率重視の空気が日本テレビを含む業界に存在していた」。
「視聴率重視の空気」とはいったいどんな「空気」なのだろうか。この調査委員会は山本七平が三十年前に批判した考え方をいまだに援用しているというわけだ。視聴率重視が「空気」だったという報告は、誰の責任でもないという報告であり、報告の体をなしていない。
社内に視聴率重視の考え方がほんとうに存在したなら、誰がその責任をとるべきなのかを特定する必要がある。「日本テレビを含む業界に」という言葉で責任はさらにあいまいにされている。この報告書のいい加減さの責任は、この調査委員会の委員長である江幡修三氏にあることは言うまでもない。
また、委員長代行をつとめている河上和雄氏はテレビでも放送された記者会見で、「他のテレビ局との関係は見つからなかったのか」と質問されて、うっかり「残念ながら、なかった」と口をすべらせていた。ちなみに元東京地検特捜部長の河上和雄氏は、よく日本テレビで顔を拝見するし、日本テレビから『好き嫌いで決めろ』という著書を出版しているようだ。身内による調査が不完全な報告しかできなかったのは、当然といえば当然だろう。日本テレビが批判されるべきはこの点である。
しかし共同通信によれば日本テレビは視聴者からの抗議があいついでいるらいが、こちらについては視聴者の方が批判されるべきである。というのもその抗議の中に「視聴率至上主義を見直すべきだ」という意見があったというのだ。
上述の報告書でも「視聴率至上主義」が問題視されているが、本当にそうだろうか。「視聴率至上主義」を問題視しているということはつまり「テレビ番組にとって視聴率より大切なことがある」ということだ。「視聴率より大切なこと」というのはおそらく番組の「質」のことだろう。
しかし日本テレビに電話や電子メールで抗議した人々もふくめて、一般の視聴者が本当にテレビ番組に「視聴率」よりも「質」を求めているなら、日本テレビを見るのをやめればいいではないか。視聴者が本当にテレビ番組に「視聴率」より「質」を求めていれば、そもそも日本テレビに「視聴率至上主義の空気」など生まれるはずはなかった。
日本テレビの番組の「質」が悪ければ、自動的に視聴率は下がり、良ければ上がったはずで、ディレクターたちは番組の質と視聴率が比例することを経験から学び、みずからすすんで質の良い番組ばかりを作ったはずだからだ。ところが現実にはそうならなかった。なぜだろうか。視聴者が逆に「質」の悪い番組ばかりを見るからだ。こんなに明快な理屈が他にあるだろうか。
だとすれば「視聴率」と「質」が比例しない状況を作り出し、日本テレビの内部に「質」よりも「視聴率」を重視する「空気」を作り出したのは、視聴者以外の誰でもない。それ以前の問題としてテレビ番組の「質が良い」とは、いったいどういうことなのか、そもそもその定義さえはっきりしない。
こういう場合に勇んでテレビ局を批判する「良識派」に限って、番組の「質が良い」のはNHKだなどと権威主義的なことしか言えない。そもそもテレビ番組なんて多くの場合、学校や職場の話題にする程度の存在意義しかないのだから、視聴者が多ければ多いほどその存在意義にかなうことになる。その意味で「視聴率至上主義」は、コンピュータメーカが1台でも多くコンピュータを売ろうとするのと同じくらい企業の営業努力として当然のことであり、それ自体を批判することにまったく意味はない。