ヘーゲル『小論理学』

■先週ごろから、僕はヘーゲルの弁証法のことをどれくらい理解しているのだろうかと不安になってきて、仕事も手につかなくなってきたので(これはウソ)、インターネットのどこかで英語版の『大論理学』か『小論理学』がないかと探していた。
英語で『大論理学』のことはScience of Logicと言い、『小論理学』は本当は『哲学的諸学のエンチクロベディア』の第一部なのだがLesser LogicShorter Logicと言うらしい。ドイツ語ができればプロジェクト・グーテンベルクのヘーゲルのページで『大論理学』のオンライン版が読めてしまうのだが、涙をのんでWallaceの英訳で『小論理学』を読むことにした(この英訳がMarxists Internet ArchiveというWebサイトの一部分になっているのは、まるで二十一世紀にもなってヘーゲルを読むやつはみんなマルクス主義者だと決めつけられているようで嫌なのだが)。
『小論理学』の序文にはいきなりこんなことが書いてある。「われわれは何も独断的に前提できないし、何も確証できない。他人の確証や前提を受け入れることもできない。それでもわれわれは始まりを作らなければならない。そして始まりは第一義的かつ非派生的なものであり、始まりが前提を作り、あるいはむしろ始まり自身が前提なのだ。まるで始まりを作るのがまったく不可能であるかのように見える」(§1)。
これは哲学が他のさまざまな学問のように、それが対象とするものの実在に安易にのっかかるわけにはいかないという冒頭の記述につづく部分だ。対象さえあやふやな哲学という学問を、僕らはどうやって始めたらいいのか。
これは高橋源一郎が『小説教室』の中でなかなか小説を書き始めないのと似ているかもしれない。ヘーゲルはこんなにすごかったのかと、今さらながらに感動してしまったのだが、学生時代に『小論理学』を岩波文庫の日本語訳で読んだときは冒頭からこんなに感動しなかった気がする。
そもそも僕が『小論理学』という書物の存在を知ったのは、高校時代、日本史の教師が傍線を引きまくりながら読んでボロボロになった自分の岩波文庫版『小論理学』を授業に持ってきたときだから、二十年近くたってもまだ僕は『小論理学』のあたりでウロウロしているわけで、これがうんざりせずにいられることか。