哲学書を読み進めるコツ

■最近このサイトを読み始めたばかりの大学生という方から感想のメールを頂き、その中でデリダのような哲学書を読み進める上でのコツをご教示くださいと質問を受けたのだが、超いい加減な日曜哲学書読者の僕に回答する資格があるとは到底考えられない。
まして僕は今まで哲学書を読んで「分かった!」と思ったことなど、覚えている限りほとんどない気がする。いくら読んでも分からないからサラリーマンになってもなお哲学書を読み続けているのであって、デリダのように見るからに分かりにくく、読んでみるとやっぱり分かりにくい著作から、ドゥルーズのように一見分かりやすく、読んでみるとさっぱり分からない著作まで、そう簡単に分からないところこそ哲学書の面白さだと言えるので、哲学書を「わかる!」と思いながら読めるようになったら僕の人生はそこでおしまいだとさえ言ってよい。
ただ一つだけ助言できることがあるとすれば、この読者は大学生らしいのだから一人で読んでいずに、同じような読書傾向を持つ友人と読書会をやるとか、何でもよいので哲学書をテキストにした講義にもぐりこむとか、さまざまな手段や機会を利用して複数の人数で同じテキストを読みあうことをやった方がよいと思う。
僕個人の経験で言えば、何よりも学生時代に高橋哲哉センセイのゼミで『暴力と形而上学』を読んだことがデリダを読む上でいちばん役立ったし、研究室の友人たちとドゥルーズの『ベルクソンの哲学』だったかを読書会形式で輪読したのも貴重だった。
しかし今から考えれば個人的にフッサールの『イデーン』を読みながら、分からない箇所を学内で高橋哲哉大センセイをつかまえて直接質問できたなどとは随分贅沢なもので、それだけで半年分の学費だけの値打ちはあったと回想される。郷愁にひたるのはいい加減にして、この読者が複数人で読むことから今後死ぬまで哲学書を読み続ける始まりの始まりに立つことを期待する。