『フッサールの哲学における発生の問題』

■会員専用領域の「サラリーマンの現象学」で読書報告をはじめた『フッサールの哲学における発生の問題』について、さっそく読者の方々からさまざまなご指摘があったので修正しておいた。それらの電子メールでは必要以上に僕の意図を善意に解釈して頂いているのだが、残念ながら僕には『発生』をまともに読むだけの西洋哲学についての基本的な知識が不足しているということを認めざるを得ない。
それでもフランス語から離れてもう10年近くたった「日曜哲学愛好家」がデリダなどを読むとどんなことになってしまうのかは、デリダを自分の仕事として読んだことのある人から見れば、面白い見世物になるだろうし、デリダなんて読んだこともないという、とくに一般的なサラリーマンがこれを機会に西洋哲学から付け焼刃でない「ロジカル・シンキング」でも学んでやろうかという気になれば、僕にとってそれ以上の喜びはない。
サラリーマンの世界では最近、「グローバリゼーション」や「抜本的な改革」が流行だが、日本人が簡単に西洋人と理解しあえるわけもないし、改革が熱意や「腹を割った話し合い」だけで実現できるものでもない。そうした他者との出会いや自分とは異なるものとの出会いとは、サラリーマンが思うほど楽天的になれるようなものでは決してないということ、そしてそれらの出会いの根本的な困難さのようなことを実感するためには、デリダのようなものを読むのがいちばん足しになると、僕は確信している。
日本人だけでなく欧米人も、他者との出会いについてあまりに楽天的すぎるのだ。それにしてもやはり、読者からのアドバイスを読んでフランス語で読まなきゃいけないかもしれないと考え直し、さっそくamazon.frで注文してしまった。本が届くまで2~3週間かかるようなので、それまでは英語で読み続けざるをえないが。