high context/low context論の決定的な間違い

■国民性と企業文化の差異が議論されるとき、日本人の組織は多くを語らず「あ・うん」の呼吸に代表されるように暗黙の意思疎通が基盤となっているのに対して、欧米の組織はできるだけすべてを言語化し書き下すという意思疎通が基盤となっている、ということが通説になっている。
コミュニケーションを研究する人々の間では、前者をhigh context、後者をlow contextと呼ぶようだが、確かに現象面だけ見れば日本人はhigh contextに違いないが、だからと言ってhigh contextが今後もずっと日本人には最適な意思疎通の方法だということにはならない。
実際、組織が処理すべき環境変動の数が増えて、通俗的に言えば「世の中が複雑になる」につれて日本的high context意思疎通はその弱点を露呈してくる。これまでhigh contextな意思疎通が機能してきたのは、日本企業の経営環境が安定的に成長しており、処理すべき環境の変動が市場シェアや経常利益など、一定数に限定されていたため、そもそも複雑な対象を伝える必要がなかったからではないか。つまり日本的な「あ・うん」の呼吸型の意思疎通は、安定した経営環境によって機能しているように見えるだけだったのだ。
例えばそれまで生え抜き社員がほとんどだった企業に中途採用者が増える、日本人社員ばかりだった企業に外国人社員が増えるなど、環境を大幅に複雑化する要因がつけ加わると、たちまち「あ・うん」の呼吸は機能しなくなる。
ところがこのとき問題が生じる。それまで「あ・うん」の呼吸で意思疎通できていた人々、少なくともそれが機能していたと信じている人々は、相変わらずhigh contextな意思疎通の有効性を信じて疑わない。上述のような国民性による意思疎通の差異についての通説が、このような人々の確信を補強する方向に働いてしまう。もはやhigh contextな意思疎通が機能していないことに気づくのは、残念ながら環境の複雑化要因になっている中途採用者や外国人だけになってしまうのだ。
だから「日本人はhigh context、欧米人はlow context」といった意思疎通の類型について語るのは、もうやめた方がいいと考える。いまだにhigh contextの意思疎通しかできない日本人たちに変化を怠る口実を与えるだけだからだ。