あまりに違いすぎる

■あまりに違いすぎる。先日部内の定例打ち合わせで「チャレンジについての言語学的考察」のプレゼンテーションをした。なぜこんなことをするのかというと、業務上わが部にとって「チャレンジ」とは何かということになり、それにはまず「チャレンジ」という言葉の定義を理解しておく必要があると西欧人の上司が提案した。そこで「チャレンジ」という言葉について考えるワークショップが開かれたのだ。読者のみなさんはすでによくご存知のとおり、僕はこの種の言語フェチ的な思弁が大好きなので、嬉々としてプレゼンを行った。ところがこれが同じ部の他の人たちには難しすぎると極めて不評で、楽しめたのは僕とその西欧人の上司だけらしかったのだ。しかも今後はこの種のワークショップを二度とやらないということになってしまった。あまりに思考様式が違いすぎるのだ。隣の同僚は最近年のせいか頭の働きが悪い、テレビで乾燥ニンニクがシナプスを再生させると聞いたので、最近食べるようにしたら気のせいか頭がさえてきた、と語りながら、昼食にインスタントラーメンを食べて塩分たっぷりの汁まで飲み干している。腸の調子が悪いとこぼしていた日も、とても胃腸に良いとは思えないインスタントラーメンをやはり汁まで飲み干していた。言っていることとやっていることが完全に矛盾している。その矛盾にさえ気づかないのだから、言語学的考察なんて知ったこっちゃないのは言うまでもない。たしかにフランス現代思想までかじっておいて、サラリーマンなんぞになった僕の方が悪いのだ。以前から書いていることではあるが、サラリーマン社会は僕の住む場所ではないが、これ以外に適当な食い扶持を稼ぐ手段も見つからない。引退するまでよそ者ということだ。