ブリヂストン栃木工場長が従業員の過負荷というようなことはなかったとテレビ局の記者…

■ブリヂストン栃木工場長が従業員の過負荷というようなことはなかったとテレビ局の記者に答えていたが、従業員の負荷余裕を許すほど本社の指導は甘くないはずだ。負荷の余裕を放置しておけば更迭もありうるのだから、当然ぎりぎりまで従業員の負荷を増やすのが工場長として合理的な行動である。自分が合理的な行動をとっていないと公言するのは明らかな嘘である。嘘はやめたほうがよい。正直に本社からの指導で人件費抑制のために過負荷状態にせざるをえませんでしたと告白するべきだろう。嘘をついてまで会社をかばうということは、この工場長は今回の火災で被害をうけた地域住民や那須の環境よりも、自分の会社の方が重要なのだ。極言すれば工場の立地している地域のことなどどうでもいいのである。そうでないというなら本社と戦っても安全の維持に必要な人員と負荷を確保しなければならない。そうしなかったということは火災他、地域に公害をまきちらして那須の自然環境にタダ乗りしてもやむなしと考えている証拠だ。
■文庫の新刊、吉本隆明・大塚英志対談集『だいたいで、いいじゃない。』(文春文庫)と佐野眞一著『東電OL殺人事件』(新潮文庫)を読んだ。吉本隆明の本はまともに読んだことがないのだが、こんなくだけた口語を使う人だとは予想しなかった。大塚氏の分析は明晰すぎて、分析対象のもつ誤解可能性をきれいにそぎ落としてしまっているという点で、やはり僕らとは世代が違うと感じた。だからといってつまらない本だということではない。吉本隆明が糖尿で歩けなくなったことから身体性について考え直したというエピソードも興味深い。『東電OL殺人事件』は先日のthink or die第一回オフ会で話題にのぼったので読んでみたのだが、以前読んだ『カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」』(新潮文庫)と同様、個人的にはどうしても佐野眞一の必要以上に劇的な筆致が鼻について好きになれない。ただその真実追求の執念にはただならぬものがある。特にネパール取材の経緯は圧巻だ。肝心の「東電OL」については最後の方の単行本書き下ろし部分に、斎藤学との対談であまりにあざやかに精神分析されていて、こちらも対象のもつ誤解可能性がそぎ落とされている。ただ超自我による自己処罰だという分析は、東電OLの世代から考えると真実の可能性もあると考える。事件の被害者となった東電OLは僕らの一世代上だが、彼女たちの世代ならまだ「父親との精神的な近親相姦」など、精神分析学のステレオタイプのドラマを地で行くことができていたのかもしれない。他方、大塚氏が対談で再三言及していた幼女誘拐殺人事件は、合理的な分析の残滓がどこまでいってもぬぐいされない。佐野眞一は生理的な欲求に突き動かされて東電OL殺人事件の取材に没頭したと書いているが、宮崎勤の事件は佐野氏のようなタイプのノンフィクションライターを拒絶するのだろう。
■しばらく脱線していたが、これでやっとマックス・ヴェーバー『古代ユダヤ教』(岩波文庫)を読み始められる。