今日は相当下らないことを書くので

■今日は相当下らないことを書くので、覚悟してほしい。駅で電車を待つとき、僕は律儀に各車両の扉の位置を示す印のところに立つのだが、プラットフォームの端ぎりぎりではなく、たいていは目の不自由な人のための誘導ブロックよりも内側に立つ。後ろから「善意の」酔っ払いに衝突されたぐらいのことで線路に転落して死ぬのが馬鹿らしいので、少なくともあと一歩はふんばれるだけの距離を残しておくためだ。そこへ同じ扉から乗りたいらしいサラリーマンが歩いてきて、先に待っている僕に並んで立つことがよくあるが、そのとき、必ずといっていいほど僕よりもホームの端に近い位置に立って、「俺が先に乗るんだ」と言わんばかりに股を広げて、自動車でいう「幅寄せ」をしてくるのだ。ほんとうにこの現象は相手が男性会社員であれば、ほぼ100%の確率で起こると言っていい。この現象に気づいてから、僕は扉の位置をしめす扉のど真ん中へ、両脚を開き気味に「先に乗るのは俺だ」という気持ちで立ってみたらどうなるだろうと実験してみた。すると不思議なことに、たとえ立ち位置が誘導ブロックより後ろであっても、後から来て僕より前に立とうという男性会社員はいなくなった。そこで再び以前のように遠慮がちに立つようにすると、後からやってくる男性会社員はがばと股を広げて、じゃまだと言わんばかりに立ち止まる現象が再現できる。これは電車を待つ場面に限った話ではなく、やや混雑した車内に立っているときも、座席に座っているときも、男性会社員の集団にもまれている場合はつねに観察される現象で、例外なく少しでも自分をより強く見せようという虚勢が働いているようなのだ。座席が一つ空いて、そこへ腰をかけるときも、わざわざ勢いをつけてどっかと座り、肩幅をつかって両隣の乗客を威圧する。通路に立っていれば、そのときはそのときでわざと通路の半分以上を占有するように立ちはだかる。こんなどうでもいい日常生活の場面でさえ、汲々とした縄張り争いをせずにはいられないのは、おそらく男性会社員の悲しい性とでもいったものだろう。会社で一秒の油断もならず既得権益の維持に神経をすり減らしているため、他人を威圧することが年齢とともに縮小する脳みそに刻み込まれてしまっているのだ。いい加減、日本の男性会社員も会社における地位にしか人間としての存在価値を見出せないような貧困な生き方からは卒業してもいいと思うのだが、会社から一歩出ても会社の中でのようにしか振る舞えないのは、まったく哀れとしか言いようがない。やはり彼らはリストラされて会社から放り出されるまで、自分の存在の卑小さに気づくことはないのだろう。