2003/03/04の日記には読者からかなり反論があった

■2003/03/04の日記には読者からかなり反論があったが、すべてが誤解だった。僕は倫理的な正しさを問題にしたわけではない。利潤の追求と対比させたので、読者はそう思いこんだのだろうが、僕は真理としての正しさを問題にしている。その上で、真理としての正しさと、論理的な妥当性を区別している。サラリーマンとして仕事をする上で、誰も自分の仕事が真理であると言い張ることはできない。ただし、倫理的に正しいと言い張ることはできるかもしれない。いずれにせよ、僕自身は、どちらの意味でも自分の仕事が正しいなどと絶対に言わない。私生活でさえ、自分の選択が、真理だとか、倫理的に正しいとか言うつもりはない。そんなことを言うのは、端的に傲慢だからだ。仕事における決定について、それがどんな意味であれ「正しい」などと言うのはなおさら傲慢だ。そう言う人は、一体自分がどんな権利で「正しい」と言うことができるのかをよく考えてみるべきだ。ちなみに、僕の意見が極論でバランスを欠いていると反論した読者には、バランスの定義を逆に尋ねたい。僕が理解する限り、サラリーマンの言う「バランス」とは、決定的な判断ができなかったことの言い訳である。もちろん僕自身も職場でバランスのとれた判断を日常的に行っている。しかし僕はそれをバランスの取れた判断とは言わない。「サラリーマン生活は妥協の連続である」と表現する。少なくともその方が正直だ。
■「サラリーマンの仕事は価値中立である」という問題はこれで片が付いたので、読書報告。今日はなんと2冊。中条省平著『小説の解剖学』(ちくま文庫)。これはCWSレクチャーブックス刊『小説家になる!』の文庫化だが、この手の軽い文芸批評はたまに読むと面白い。で、本書で言及されていたので、何を血迷ったかこの年になってJ.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳・白水Uブックス)を続けて読んでしまった。エッセーやなんかで百万回も取り上げられてる名作らしいんで、50年前から読みたくってしかたなかったんだ。もうすぐ村上春樹訳が出るとかなんとかってことが新聞に出てたりしたんで、がまんできなくなって読んでみたってわけさ。ところが、どこが名作なのかわかんなかったんだな。でもこれを書いたとき、サリンジャーは今の僕と同じくらいの年だったんだよ。本当だよ。村上春樹はどんな風に訳すかね。
■おかげで廣津柳浪の『今戸心中』が全然読み進まないんだよ。