ポパーの入門書を読んで反証主義

■ポパーの入門書を読んで反証主義(falsification)の考え方がある程度理解できた。それと同時に、反論することによってより多くのものを産み出そうとする西洋人の基本的な態度が、日本人サラリーマンといかにかけ離れているかに気づかされた。ポパーと一般的な西洋人の考え方を同一視するのが乱暴であることは承知しているが、少なくとも西洋人が日本人よりはポパー的であるという前提で以下の文章をお読みいただきたい。日本人会社員の議論は、権威や立場の優位性を背後に自分の意見をごり押しするか、事態の複雑さを利用して相手を煙に巻くかのどちらかだが、西洋人会社員の議論は反問によって相手の論理の不整合を突く。日本人会社員の議論は立場と立場の政治的な戦いになるが、西洋人会社員の議論は理論と理論の相互検証の戦いになる、と言い換えてもいい。前者の後味の悪さと、後者の後腐れのなさは主にこうした違いから来るものだろう。ただこれほどまでに議論の態度に違いがあると、日常の会議や打ち合わせの席での議論が非常に非生産的なものになってしまう。西洋人は議論によってある考えの優位性が論証され、その場の全員が説得されれば、それ以降、論駁されるまではその考え方が有効であると暗黙の内に理解し、行動する。ところが日本人の方は、そうした議論はその場限りのものだと見事に割り切り、理論と現実の落差を口実にして、それまでの現実のままに仕事を続ける。西洋人は自分も含めた関係者がみな説得されたつもりで、新しい考え方にしたがって仕事を始めようとするのに対して、日本人はそういう考え方の変化を無視して惰性で仕事をしつづける。思考が現実を産み出すか、現実が思考を産み出すかという根本的な態度の相違があるのだ。こうした日本人の態度は西洋人からすると極めて不誠実に映るし、日本人からすると西洋人は理想を追いすぎて現実を見ないと映る。実践的に言えば、西洋人があっさり権威主義的になってくれさえすれば、日本人にとってはむしろ納得のいく事態になるのだが、対等な議論に職業人としての倫理を見いだす西洋人会社員にはそうすることもできないらしい。これは僕にとって簡単に結論の出ない問題である。