売れる、売れる。Amazon.co.jpに出品した古本だが

■売れる、売れる。Amazon.co.jpに出品した古本だが、さすが全国から何百万人というインターネット利用者が接続しているだけあって、津々浦々のどこかしらには僕にとって不要になった書物を新たに欲している人がいるということなのだろう。店舗型の古書店はどうしたって店舗の近辺数キロメートルという商域の制約から逃れられないが、インターネットであれば海外からでも購入できる。この調子で読み終わった本をまた売って、誰かが買って、また売って...と繰り返していけば、新刊書を購入するのは、どうしてもその本が欲しくて、Amazon.co.jpで探しても見つからなかった人だけになってしまう。そうなると需要が極端に落ちるので、新刊書の値段が跳ね上がる。筆者の印税も減らされるのだろうか。まだ雑誌や文庫本はよいのだろうが、単行本、中でもリファレンスとして使えない文芸書ほどその傾向が強くなるだろう。最終的に書籍流通がどうなってしまうか。あれこれ想像をめぐらせるとなかなか面白い。
■ご参考までに読書報告。現在読書中なのは大野晋『日本語はいかにして成立したか』(中公文庫)。日々外国人と英語で話していると今さらながら自分が何の疑問もなく話している日本語の一つひとつの言葉が一体どういうところから生まれてきたのか気になってくる。というのが読み始めの動機だが、日本人のくせにいかに日本語の生い立ちについて知らないかということを痛感させられた。古代の日本語には「S is P」という単純な命題の否定形である「S is not P」を表現する語彙がなかったというのは新鮮な驚きだ。言われてみれば、英語の「not」、フランス語の「ne」、ドイツ語の「nicht」、ロシア語の「net」、中国語の「不」にしろ何にしろ、これら否定の意味を表す言葉は、肯定を否定にひっくりかえす論理的な記号でしかなく、独立した意味を持たないのに対して、日本語の「無い」は立派な形容詞だ。古代の日本人には、肯定と否定をひっくりかえすという論理的な操作を言語で表現するという思考回路そのものが存在しなかったということになる。ことは事物の存在そのものにかかわっているのだから、差異は思った以上に根本的なものである。