国宝に釘で照明を固定した若者

■年末の『ゆく年くる年』の生中継でNHKの委託業者が国宝の鐘楼に釘を打ち付けて照明を固定させたというニュースを聞いて、この業者の担当者は悪いことだと知ってわざとそうしたのか、言われるまで知らなかったのかと考えたが、おそらく言われるまで知らなかったのではないか。
想像するに釘で照明を固定する作業を担当した若者にとっては国宝もテレビ局のセットも釘を打ち付ける対象として区別がなかった。一方彼の上司であるベテランは国宝とセットの違いなど言わずもがなだと思っていた。その結果起こった小さな「事故」。小さな事故ですんだのはたまたま釘6本程度の問題だったからだ。
1970年代生まれの僕らにとって当たり前だった善悪の境界線は1980年代生まれの世代にとっては必ずしも当たり前ではない。そうした世代間のギャップは僕らの世代の前後に限らずつねに生じているはずだが、多くの事柄の中から重要なことを優先して伝えるという世代間の伝承の基本的なルールが守られなくなっているのは新しい現象ではないか。
社会的な安全性を確保するのは、単に犯罪を防ぐという「悪」の抑止の側面だけではなく、最低限のことがつねになされているという「善」の遍在の側面もある。「悪」は多くの場合意図的なものなので対決しやすいが、「善」の欠如は国宝の釘と同様、誰も意図せずに起こってしまうので、対策を立てるのがとても難しい。
社会的信頼を失った企業の再建も似たところがある。みんな一生懸命に建て直しをやっているつもりで、その一生懸命さが社会的信頼を失った当時のその企業の行動様式から抜け出せていないために、再び過去の泥沼に少しずつ逆戻りしつつあるといった状況。もちろんここまで企業が再建されるためには、ここまで根本的に変わる必要はないのかも知れない。とりあえず収益が上向けば企業としてはそれで良しということなのだろうが。