この日記が始まってからもう6年めになる

■この日記が始まってからもう6年めになる。6年も経つと筆者の思考も相当変化するが、過去のエッセーについて感想のメールを頂くこともしばしばで冷や汗ものだ。できれば自分の思考スタイルは不変で、かつ、その帰結も不変。ただし思考の道筋はより深遠になっていて欲しいのだが。
たとえば1998/01/02の日記では日本経済新聞の健全なリベラリズムを称揚している。僕は相変わらず日経朝刊の購読者だが、最近はそれほど楽観的になれない。1999/01/05の日記では「僕は仕事は好きだが会社は嫌いだ」とのたまっているが、この件は僕に分が良いようで、いかにもなサラリーマン的心性を体現したサラリーマンは最近では優秀な経営陣の受けも悪いようだ(旧態依然の会社は別)。
■大晦日の夜は他に見る番組がなかったので、紅白をぶっ通しで見ていた。生放送で、生伴奏の歌唱を聴くと、歌手の実力差が如実にわかる。歌のへたくそな歌手はさっさと歌手を止めて欲しい。
まず持田香織は哀れを催す下手さ加減。声量があればまだ許せるが、声量もない、高音も出ない、裏声も出ない、かといって踊れるわけでもない、彼女は自分が歌手である事実を屈辱的だと感じる良識さえ失っている。良識がかけらでもあれば、作曲者の菊池一仁氏に「どうかキーを2つほどさげて下さい」と頼むべきだ。
大トリの五木ひろしまでつんくの楽曲で、今回の紅白はメロン記念日まで出演するつんく関係の露出度の高さに「日本の歌謡界の才能枯渇もここまで進んだか」の感が否めなかったが、それでも藤本美貴や松浦亜弥は、持田香織など問題にもしない歌唱力だ。おまけにアイドルとしてのエンターテインメント性も極限まで追求されている。
小柳ゆきも実力がないのに実力派とのたまうのはやめよう。R&Bをああこぢんまり歌われたのではたまらない。中島美嘉は、誰かあのネコ背を注意してやる人間は周囲にいないのか。舞台映えするように豪華な衣裳を着せてもらっているのに、あんなに背中を丸めたのでは滑稽にしか見えない。ネコ背では胸がひらかず声も出ないし、口から先でしか歌えてないのは当然だろう。
紅白に関係ないが鬼束ちひろもしかり、彼女たちに正しい発声法の必要性を感じている関係者は本当にいないのだろうか。
安室奈美恵には、やる気がないなら出演するなとだけ言いたい。オープニング早々、かったるそうな表情を画面に見せるのはやめろ。歌って踊るR&B歌手ならBoAの方が余程上質である。
華原朋美は紅白のブランクを感じさせない安定ぶり。hitomiはロックだから力強くさえあればいい。モー娘の「2002Ver.」は短編ミュージカルと思えば比較的よくできているし、島谷ひとみは演歌出身だけあって初出場と思えない落ち着き。夏川りみの『涙そうそう』は期待どおりの美しさで、中森明菜は中島みゆきほどではないが堂々としていた。
■つぎに男性歌手について書くと、CHEMISTRYは二人のキーが微妙にずれるので気持ちが悪い。しかも一曲のうちハモるのはサビの一部だけなのだから、ハーモニーを売り物にするのなら生演奏でもそれくらいは完璧に合わせて欲しい。ユニクロのテレビCMで、小学生相手に教室でハモる場面があったが、あの程度で小学生から拍手をもらってCMにまで撮られているようでは駄目だろう。ハーモニーの点でも、エンターテインメント性でも、ゴスペラーズはもちろんのこと、RAG FAIRの方が数段上だ。
なぜか今ごろ初出場のBEGIN『島人ぬ宝』は、松山千春の『大空と大地の中で』の盗作ではないかと耳を疑うほど凡庸な曲。彼らは自分たちが島人である事実に甘えて、本土との差異を歌えなくなっているのではないか。アルゼンチン人のアルフレド・カセーロと日本人・宮沢和史が歌う『島歌』の方がはるかに強度がある。
前川清の『ひまわり』は紅白で聞くと完全に役不足。福山雅治のメロディーには空間的な広がりがない。浜崎あゆみの『Voyage』など、長尾大の方が断然良い。
SMAPはいきなり中居君がソロでかわいそうだった。
さだまさしについては、一年の締めくくりに『精霊流し』みたいなクラ~い歌なんか聴きたかねぇよな、のひと言だけ。
森進一の『運河』は自分で作曲したようだが、どこにでもある没個性的な演歌になってしまって聴くに耐えない。あれなら『冬のリビエラ』でも歌った方が良かった。
細川たかし『津軽山唄』は圧巻。これを聴くにつけ、前川清は楽曲で大損した。演歌歌手は演歌で、民謡歌手は民謡で勝負すればいいんだ。
鳥羽一郎の『海よ海よ』は阿木燿子・宇崎竜童コンビの楽曲だが、威勢の良さだけで勝負している感じ、曲にメリハリがない。
Gacktは紅白であろうが何であろうが、どの番組に出ても基本的に同じなのでどうでもよい。
キンモクセイ『二人のアカボシ』はちょっと70年代の香りがする佳作で、演奏も意外に良かった。
しかしトリがつんくの楽曲というのは、五木ひろしほどの大御所でさえ大舞台に使う楽曲をつんくに頼らざるをえないほど、歌謡界にクリエイターが不足しているということなのだ。