消費者金融のテレビCMが多すぎるというのは前からこの日記にも書いていたことだが

■消費者金融のテレビCMが多すぎるというのは前からこの日記にも書いていたことだが、とうとうNHKと日本民間放送連盟(民放連)が運営する第三者機関「放送と青少年に関する委員会」が今日、安易な借り入れを助長する恐れがあるとして、夕方からゴールデンタイムの時間帯の放送自粛を求める見解を発表したとのこと(Yahoo!Japanの社会ニュースによる)。この記事によるとどうやら消費者金融のCMは各局とも放送を自粛しており、1990年代に入ってから解禁されたとのこと。つまりバブルが崩壊して広告料収入を確保するためにテレビ局も背に腹が換えられなくなったということだろう。ただ、これもこのような団体が圧力をかけるのではなく、経済原理に任せるという手もある。ここまでの動きになるということは、僕のように消費者金融のCMを不愉快に思う視聴者が確実に増えているという証拠でもある。消費者金融各社のCMは負の宣伝効果を生じ始めているということだ。広告の費用対効果が減じれば消費者金融各社は自ら広告を減らし始めるだろう。個人的にはこのような見解が発表されたからと言って、テレビ局が応じる必要はないと思う。
■と、いうようなことを書いていてふと思ったのだが、なぜアダルトビデオメーカのテレビCMが存在しないのだろうか。アルコール飲料も未成年が飲んではいけないにもかかわらず堂々とCMをやっている。これはよく考えれば驚くべきことだ。つい最近までタバコのCMも何でもないように放送されていた。タバコは現実に健康を害する嗜好品なのだから、実はアルコール飲料のCM以上に驚くべきことなのだ。タバコに比べればアダルトビデオは直接健康を害するわけでもない。かつてのようにいかがわしいスター監督が個人的な性的嗜好のままに撮影するような個人商店ではなく、最近ではアダルトビデオそのものにさして興味のない経営者が、純粋に事業として手がけている一般的なベンチャー企業のようなレーベルも出てきている。もちろんテレビCMにヌードを登場させるわけにはいかないから、タバコのCM同様、イメージ映像だけになるだろうが、別にCMを流したっておかしいことは何もないと思うのだが。現実にはポルノグラフィに市民権を与えることに抵抗を感じる人が大多数なので無理な話だろうが、ポルノより高利貸の方が市民権を得ている社会が、本当に健全かどうかは極めて疑わしいと思う。
■先日少しふれた明治文学全集の廣津柳浪の巻で『残菊』という初期の短編を読んだ。肺結核で生死の境をさまよって奇跡的に命をとりとめた若い既婚女性が読者に向かって語りかけるという形式をとっている。完全主観の形式で辻褄の合う小説を組み立てるのは、一般的な「神の視点」の小説よりは難しい。しかも病気が進行して意識が混濁し、小説の終わり近くで主人公は過去の回想とも幻想ともつかない夢を見る。作者の廣津自身、こうした初期の主観的な小説から、後期の客観的な深刻小説群への移行を「成熟」と評価しており、後世の評価もそうなっているようだ。しかし僕としては『残菊』のような、ある意味で実験的な小品に日本近代文学の黎明期の輝きを楽しみたい。
■廣津柳浪と並行して、高杉良『青年社長(上)(下)』(角川文庫)を読んでいる。文学作品としてはまったく面白味に欠けるし、凡庸な描写に読んでいるこちらが赤面することもあるが、起業家を主人公にした成功物語を読むと単純に元気が出てくるので、最近ではこういったものも読む価値はあると考え始めている。ちなみにこれはワタミフードサービスの実名小説である。