高杉良『勇気凛々』の前時代性

■『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』の口なおしに永井荷風ではなく高杉良『勇気凛々』(角川文庫)を読んだ。節操のない読書で申し訳ないが、この小説は実在の企業ホダカ株式会社の創業者をモデルにしている。
ホダカ株式会社は埼玉県の越谷流通団地に本拠を置き、マルキン自転車のブランド名で有名。ブリジストンやパナソニックなど完成品メーカと異なり、中堅自転車メーカから仕入れた自転車を、高度成長期のイトーヨーカ堂と提携して販売するという商社的機能から始まった会社。
小説はバイタリティーあふれる武田社長の成功物語を軸に展開する。サラリーマンが読んで元気の出る小説であることには違いないが、筆者の脚色なのかどうか知らないが、主人公の武田は私生活の面では、バーのママだった香栄子に本気で入れあげて、二男をもうけた妻と離婚する。
結果的に香栄子は武田の企業家としての成功を支え、あとがきに経済評論家の中沢孝夫が書いているように、彼女の「超人的、献身的な協力は”こんな女がいないかなあ”とだれもが思うだろう」といった女性なのだが、主人公の身勝手で捨てられた前妻はインテリで自尊心が強く勝ち気と、小説中ではさんざんな書かれようである。
実業家にとって都合のいい女を持ち上げ、前妻のような「普通の」女性を必要以上におとしめる書き方は価値判断として公正さを欠き、高杉良の倫理観を疑わせる。だから僕は経済小説や時代小説を安心して読めないのだ。高杉良も、いちど女性企業家を主人公にして小説を書いてみたらどうか。少なくとも武田氏のような成功物語が手放しで評価される時代ではなくなっていると、僕は思うのだが。サド公爵が諧謔と韜晦の限りを尽くして描写している女性の奴隷的地位を、こうした経済小説では「本気で」称揚しているというわけだ。どちらが「前時代的」だろうか。