銀塩一眼レフを使い始めて数週間になる

■銀塩一眼レフを使い始めて数週間になるが、やはり写真の魅力は「迂回性」とでも名づけたくなるような「まわりくどさ」にあるのではないかと再確認した。つまり肉眼で見ればそのまま目の前に見えているものを、わざわざ片目のレンズを通して撮影した上に、現像、プリントまでやらないと最終的な写真にならず、そこに写っているのはその場で見えていたもののごく一部分だけ。しかも適切な像を得るためには絞りだのシャッター速度だのいろんなことを考える必要があるし、35mm一眼レフカメラという機器そのものがとにかくかさばるし、重い。レンズも1本ではすまないし、三脚やフラッシュが必要になる場合もある。目の前に見えているものを撮影するだけでこれだけ面倒な回り道をしなければならないのだが、むしろこういう意図的な不便さや非効率性こそが趣味としての写真の楽しみなのではないか。シャッターを押すだけで完璧な写真がとれるカメラがあったとしてもそのカメラを使うことに何の楽しみも見出せないだろう。写真に限らず絵画にしても、今入力しているような文章にしても、対象を再現前(represent)する行為はすべて何らかの「迂回」を経ているからこそ、その迂回部分に再現前を行なう主体の意図を反映させる「遊び」が生じるということなのだろう。