田中康夫『なんとなく、クリスタル』

■無味乾燥な週末を自宅から駅の反対側の商店街を県道までぶらぶら散歩した。途中で2件の古本屋を見つけ、片岡義男『彼のオートバイ、彼女の島』、武者小路実篤の新潮文庫2冊、田中康夫『なんとなく、クリスタル』を購入。各1冊100円。武者小路実篤の『友情』なんて同じ古本屋に7冊もあった。
この中から、失職・再出馬を表明したばかりの田中康夫前長野県知事が一橋大学在学中に書いたという『なんとなく、クリスタル』を読みはじめ、あっという間に読み終えた。本文と同じ分量の膨大な註釈が特徴的といわれる本書、その註釈が決して百科事典のようにニュートラルではない。註釈にかこつけて筆者が好き勝手な傍白を吐いている感じで、註釈は独立したエッセーとしても読める。
本文は一貫して主人公の独白で、主人公周辺のごく限られた世界を描くという伝統的な「私小説」と同じ形式になっているが、註釈部分で作者が本文に自己言及することでこの小説全体は一種のメタフィクションになっている。作者はたしかに松山千春やさだまさしをバカにしてはいるが、本文中の「なんとなく、クリスタル」な生活を自分の「主義」として引き受けているわけでもない。
膨大な註釈群はこの小説を仲間うちだけの閉じられた小説にしないための配慮だと作者自身は語っているが、こうした自己言及の構造によって作者は「なんとなく、クリスタル」な生活にさえコミットしているわけではないということを書いてしまっている。たぶんこの点がこの小説の「形式」上の革新性であって、たんに本文部分の女子大生の生活を風俗小説として読んだのでは、たいへん下らない「内容」の小説ということになってしまう。小説において重要なのはつねに「内容」ではなく「形式」なのである。