とあるERPベンダーとの打ち合わせ

■とあるERPベンダーとの打ち合わせ。時間どおりに部屋に入った僕に、先に着いていたベンダーの一団のうち、営業マンが「今日はありがとうございます」。僕、「あと2人参りますので」。営業マン、「一人は○×課長で、もうひとりはシタナさんとお読みするのか、シモナさんとお読みするのか...」。僕は社外宛の電子メールでは必ず自分自身のことをへりくだって「下名」と書くようにしている。その営業マンは残念なことに「下名」という日本語を知らなかったようだ。ところで「下名」というのはそんなにマイナーな日本語だろうか。
■つい先日、このページで高野悦子に言及した部分に関する感想のメールを頂いた。高野悦子と言っても岩波ホールの支配人ではなく、新潮文庫『二十歳の原点』の著者のことだ。このページの読者で、自殺者に共感を抱く人の割合はそれほど少なくないと思われる。このページの文章に表現されている筆者の自己像はやや屈託しており、自己嫌悪がかつて自信家だった自分に対する惜別の言葉として書かれている。それに共感できる人は何らかの事情でこれまで自分を何度か比喩的な意味で葬り去らねばならなかった人だ。ある時点までの自分を殺して、そこから新しい自分として生き直さなければならないということを一度は経験した人だ。そうなるとかつての自分を確かに存在したものとして認めてやれるのは、自分だけになる。誰にもかえりみられることなく、闇に葬り去られる自我。それをいとおしんでやることができるのは、もはや自分しかいない。その孤独感を味わったことのある人だけが自殺者に共感を抱くことができる。しかし自分を殺した気分になったことのない人などどれほどいるだろうか。もし生まれてこの方、今の今まで一度たりとも自分が不連続になった瞬間がなかったと言えるなら、その人は「奇跡的に」幸福なのだ、と言わざるを得ない。