東浩紀『郵便的不安たち』

■職場のある超高層ビルの3階の本屋でたまたま見かけたので東浩紀『郵便的不安たち』の朝日文庫版を手にとった。読むのは二度目だが文庫化で新たに収録された評論があるといことで購入した。
相手が外国人であろうが「デリダ」や「ドゥルーズ」といった固有名で話がツーカーになってしまうオタク的コミュニケーションに対置される郵便的なるもの。こんな要約をしていてもこの要約自体にノスタルジーしか感じなくなっているのはこれらの固有名を参照する資格がすでに僕にはなくなってしまっているからか。
逆にこれらの固有名に縛られない自由さも獲得しているわけで、明治初期の言文一致から現代文学評論モードへひとっ跳び、今日は久しぶりに中央図書館の文庫本コーナーで著者別配列の「あ」行から「た」行までねばりにねばった結果、阿部和重『インディビジュアル・プロダクション』(新潮文庫・東浩紀が解題を書いている)、加藤典洋『アメリカの影』(講談社学術文庫・同著者の『敗戦後論』について東浩紀が言及している)、後藤明生『挟み撃ち』(講談社文芸文庫)、『戦後短編小説再発見10・表現の冒険』(講談社文芸文庫)の4冊を借りて、『インディビジュアル・プロジェクション』を一気に読み終えてしまった。
解題で東浩紀が指摘しているように、「普通の」小説なら当然のこととして前提とされる作者と読者と主人公の関係が宙づりにされてしまう奇妙な読後感を残す小説で、映画でも漫画でもなく小説にしかできないことをやっている小説。ただこれを「J文学の騎手あらわる」と紹介して、発刊当時の僕の読む意欲を失わせた出版社の出した手紙は僕ではなく一体誰に誤送されたのだろうか。