選挙に当選した議員が辞職するのは落選するときだけであってほしい

■選挙に当選した議員が辞職するのは落選するときだけであってほしいが、残念ながら落選以外のことで辞職する議員が存在する。昨日辞職した元社民党議員は政治資金規正法に抵触していたことが明らかなので辞職せざるを得ないのだろうが、議員は法に抵触していることが明らかになるまで辞職すべきでないと考える。その理由は二つ。一つは早く辞職してしまうと真相不明のまま終わってしまうから。二つめはその議員を選出した有権者の責任が問われないままになるから。後者の理由をもう少し説明しておく。たとえば自民党のS議員、いかにウサンくさい政治家であっても法に抵触していることが明らかになるまで辞職すべきでないと僕は考える。単に道義的に悪いことをしたというだけで辞職する必要があるなら、その議員を選出した有権者の一票は何だったのかということになる。そういう人間に票を投じて当選させた有権者が、他人事のようにその議員を批判するのは無責任以外の何ものでもない。S議員の地元民のインタビュー映像を思い出してほしい。テレビカメラの前でS議員を当然のように批判する地元民たち。しかしS議員を支援して国会に送り込んだのはあなたたちではないのか。S議員の責任は問われて、S議員を選出した有権者の責任は問われないままでいいはずがない。では有権者の責任の取り方とは何か。それはマスコミの尻馬に乗って手のひらを返したようにS議員を非難することではなく、自らの投票行動の誤りを認め、次回の選挙でS議員を落選させることではないのか。有権者が自らの投票行動に責任をとらなくていいということになれば、民主主義は根本からくつがえされることになる。裏を返せば、かくも無責任な国民が票を投じるのだから、S議員のような議員が誕生するのも無理はない、ということになる。この国民にしてこの議員あり。議員の不正が次々と明らかになる泥仕合を、まるで議員たちだけの責任のようにして非難するわれわれは、彼らを国会に送り込んでしまった有権者としての自分たちの責任を忘れてしまってはいないか。某社会党議員の辞職を当然だと書く今朝の日経の社説も大同小異である。
■勤務先のオフィスビルの近くにある電話ボックス。繁華街が近いせいか、デリヘルの小さなビラが一面に貼り付けられていることがある。ある日、そのビラを薬品を使って3人がかりではがす作業をしているところを通りがかった。数日後、ピンクビラを追放しましょうというスローガンの書かれたゴミ箱が設置されていた。さて、3人がかりで1時間以上かけてビラをはがす作業をするより費用対効果の高い方法が本当にないだろうか。いや、ある。電話ボックスのガラス一面に透明なシートを貼っておけばよいのだ。ビラが貼り付けられても、シートごとはがせば数分で清掃作業は完了。その跡にまた透明なシートを貼っておけばよい。3人分の人件費よりもはるかに安上がりで電話ボックスがすばやくきれいになる。しかしNTTが現実にとった対策は、3人がかりで清掃した上にゴミ箱を設置するというものだった。NTTの職員はピンクビラを貼る人間たちが「改心」してくれると信じてしまうほどナイーブで楽天的なのだ。おそらくピンクビラは貼りつづけられるだろうし、通行人の良心を信じてピンクビラを待ち構えているゴミ箱は、そのうち紙くずや空き缶でいっぱいになるだろう。以前ここで批判した公共広告機構のテレビCMにしてもそう、人は簡単に改心するものだという楽観主義がかえって悪い状況を作り出す好例だ。このオフィス街で働く普通の人たちは、単に美しい電話ボックスを求めているだけであって、ピンクビラを貼る悪人を不要なコストをかけてまで改心させたいわけではない。なのにNTTは悪人を改心させようと余分なコストをかけ、そのコストは最終的に普通の人たちと悪人の支払う通話料金に転嫁されるのだ。先の公共広告機構のテレビCMも同様、悪人を改心させることに何の効果もない代わりに、満員電車に乗る普通の人たちをますますイライラさせるだけなのだ。どうしてこうもナイーブな人たちばかりなのだろうか。