高橋源一郎『ゴヂラ』『官能小説家』

■ずいぶん長い間「愛と苦悩の日記」をサボっていたが書く気がなかったのだから仕方ない。書くべきことがなかったわけではないはすだ。書くためにはまず考えなければならないが、考えることはたくさんあった。いや、人に比べて考えることの数が取り立てて多いわけではないがひとつのことについて考える時間が長い。日常生活で考えるということに費やす時間が人よりも長いことだけは確かだ。
それだけ書くべきことも多いはずなのだが、書く気がしなかったのだ。書くべきことが多いのに書く気が起こらないということは、書くという行為に僕は何かの効果を求めているらしい。たとえば書くことによって頭が整理されるとか、あわよくば答えが見つかるとか。
ところがここ最近は書くことで一体何が変わるだろうかと、書く行為の効果についてやたらと懐疑的になっていたらしい。もしかすると書くなんていうことは無駄なのではないかと考え始めていたのかもしれない。だけどその間にも幸か不幸か読むことだけはやめなかった。
高橋源一郎大センセイの『ゴヂラ』と『官能小説家』をたてつづけに読んでしまった。講演会の帰りに大センセイと遭遇したときには「必ず買います」と約束したにもかかわらず図書館で2冊とも図書館で借りてしまった。去年の年末、樋口一葉の日記を読んでいたので『官能小説家』の半井桃水と樋口夏子と森鴎外の三角関係はおもしろく読めた。
こんな下らない感想しか書けないなんてどうかしてる。ちなみに『官能小説家』は約400ページを3日で読んだ。『コヂラ』は2時間くらいで読んでしまった。こういう小説を永遠に読んでいられないのは不幸だ。すぐに終わりが来てしまう。
そういえば明治文学全集の坪内逍遥を読んだ後、現代文学全集の二葉亭四迷の『浮雲』を読み直した。その後、嵯峨の屋おむろを読もうとしたが出だしがあまりにつまらなかったのでやめた。それから小栗風葉を読もうとしたが何が書いてあるのかわからなかったのでやめた。
今日、川上眉山の『観音岩』を読み始めたが、冒頭でいきなり人が自殺しちゃうので面白くなって読み進めている。図書館には読むべき本が多くてどれから手をつければよいのか困ってしまう。考えるべきことも多く、読むべき本も多い。システム構築の仕事のために切り売りする時間に比べれば読書の時間は濃厚だ。ところがそれでも充実とは程遠い。