グレンミラー・オーケストラ・コンサート

■先日サントリーホールでグレンミラー・オーケストラの演奏を聴いた。別にビッグバンドの愛好家でも何でもないのだが、事前に『グレン・ミラー物語』という典型的なテクニカラー時代の旧き良きアメリカ映画で勉強した限りでは、複数の演奏者が同一の楽器で一つのパートをなし、そのパート内で和声を発生させるような編曲をジャズに適用したのはグレン・ミラーが先駆者らしい。メロディーとコード進行だけでなく最終的な音の響きまでを創作したという意味で、ポール・モーリアなど僕の大嫌いなイージーリスニング系のご先祖ということなのだろう。
コンサート自体は間に15分間の休憩をはさんで約2時間、ステージの真横の席だったので前にしか音がでない金管楽器ばかりのビッグバンドを聴く席としては最悪だったが、終始4ビートでノリノリといった感じ。やはりこれも旧き良きアメリカ、敗戦後の多くの日本人が憧憬の対象としていた頃のアメリカへの懐古趣味として楽しむべきものだろう。
ところで後から考えてみるに、毎年世界を回ってグレン・ミラーの決まりきったレパートリーを紋切り型のパフォーマンスで演奏しつづけるのは、一音楽家として幸福なことなのだろうか。これがクラシックのオーケストラの一奏者なら指揮者の解釈によって、また演目によって音楽家としての変化や刺激も経験できるだろうが、グレン・ミラーの指揮に解釈もヘチマもない。
昔の夢に浸りたい老人がいる限り仕事がなくなることはなかろうが、音楽家としての自己実現を彼らはどこで満たせるのか。あるいは自分たちは純粋な芸人であると割り切っているのか。彼らバンドメンバーにそのあたりの葛藤がないとも言えないが。ちなみにオリジナル編曲が1曲だけ演奏された。グレン・ミラー風『川の流れのように』(美空ひばり)である。