国木田独歩『武蔵野』

■岩波文庫で国木田独歩『武蔵野』を読んだ。1冊の作品集のなかにも現代人が読んでもさほど違和感のない言文一致体と、どちらかといえば古文と呼びたくなる日本語が混在している。たとえば『忘れえぬ人々』から。
「『そこで僕は今夜のような晩に独り夜ふけて燈に向かっているとこの生の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催して来る。』」
他方『わかれ』では次のような感じ。
「『われ君を思い断たんともがきしはげに愚かの至りなりき。われ君を思うこといよいよ深くしてわれますます自ら欺かんとて企てぬ。』」
国木田独歩は高橋源一郎『日本文学盛衰史』を読んで手にとったのだが、表題作『武蔵野』を読むと今までこの日本語にふれなかったことが悔やまれる。日々あたりまえのように書いている(というより入力している)この日本語が明治の青年の、新しい書き言葉を生み出そうと言う胃壁から血の出るような努力の結果だということを、たまには再確認するのも悪くないだろう。