日本企業の無謬神話とERP

■いつかの『日経コンピュータ』の記事に、欧米製の基幹業務パッケージを導入する前に、日本の会社員と欧米の会社員の文化的差異を認識する必要性があると書かれていた。曰く、日本の会社員は完璧主義・無謬信仰だという。業務上の人的ミスは無いのが当たり前。だからその業務を支援する情報システムもミスを許容しないものでなくてはならないという予断がある。
他方、欧米では人的ミスは起こって当たり前。業務上の細かなミスをお互いにカバーすればよく、それを支援するシステムも最大公約数的な機能を実現できていれば、あとは人がフォローすればよいという考え方に立っている。ERPのように基幹系業務をパッケージ化してしまう欧米人の発想の元となっているのは、人間の間違いに対して良くも悪くも寛容であることだという主旨である。
なるほどと思った。自動車の生産ラインで寸分の間違いもなく稼働する組立・溶接ロボットは、「決してミスを犯さない人間」の具現化であって、日本の会社員は情報システムにも同じことを期待している。しかしよく考えてみれば「決してミスを犯さない情報システム」は、「ミスを犯すリスク」を業務を行う本人から、業務システムを構築する技術者に転嫁しているに過ぎない。
この責任転嫁は「ミスを発見するのも一つの業務遂行能力である」ということを忘れさせてしまう。日本の会社員は無謬信仰にとりつかれて情報システムの無謬性を追求するあまり、その無謬性の投影として、「情報システムは無謬である」という神話を信じてしまっているのではないか。
情報リテラシーの低い人ほど「情報システムは間違えない」「情報システムは何でもできる」と思いがちだが、情報システムはそれを使う人間の写し絵でしかないのだ。情報システムはそれを使う人間以上に賢くなることはない。情報システムはそれを使う組織以上に効率的に業務をこなすことはできない。そんな当たり前のことを分かっていない会社員が多すぎるように思う。