このホームページがしばしば受ける誤解にはいくつかのパターンがある

■このホームページがしばしば受ける誤解にはいくつかのパターンがある。まず一つは筆者がこのページで考えている問題について明確な解答をもっているというもの。明確な解答を持っているならそもそも考える必要はないではないか。もし筆者が明確な解答を持っているなら、いったい何のための「think or die」というタイトルなのか。筆者も明確な解答を持っているわけではないが、問いをあえて問いのままでこの場に提示することで、これを読む人自身の思考が始まることをこのページは何よりも期待しているわけで、筆者は読者対して解答を用意しようなどという思い上がりは寸毫も持ち合わせていない。もう一つは、第一のものから派生する誤解だが、筆者が個々の読者との対話を欲しているというもの。上述のように筆者はなんら明確な解答を持ち合わせる者ではないから、読者に返すべき「答え」を持たない。むしろ読者が自分自身との対話を始める契機となることを、このページは期待している。ここまで書けば、最後の誤解のパターンとして、このページに書かれていることを言質にとって、筆者の行動がその文章と齟齬をきたしている点を非難することが相当な検討違いというか、おバカな行為であることはおわかり頂けるだろう。もちろん筆者はさまざまな書物や日常の経験から、問いを問い続けることを止めるつもりはない。しかしそれは自分の行動を、そのときそのときの解答によって束縛することとはまったく違うし、そもそも読者一人ひとりとの対話に費やすべき時間などないのだ。読者がこのページをきっかけに自分で問いを始めることこそ、筆者がこのページを5年間も書き続けている理由である。ここまで書かないと分からない読者は、おそらくこのページに「答え」があるという大変な間違いを犯していたのではないだろうか。
■『レクサスとオリーブの木』がいかに下らない書物であるかを理解するために、代わりに読み始める書物としてリチャード・セネット著『それでも新資本主義についていくか~アメリカ型経営と個人の衝突』(ダイヤモンド社)はなかなか適切だったようだ。アングロ=サクソンにかぶれることに血道をあげる思考停止の若手サラリーマンは、英『The Economist』誌レベルの批判精神を獲得すべくもっと頭を使って「考える」べきである。ちなみにこの本は英『The Economist』誌の1998年ベスト・ブックに選ばれている、フレキシビリティーを旨とするグローバル化経済がミクロレベルで働く人々一人ひとりの職業倫理や自尊心をいかに破壊しているか、そしてそれが長期的な経済発展にとっていかに危険を孕んでいるかについて警鐘を鳴らす、経済社会学者の良心の書である。