こっちの頭はフル回転しているのだが

■こっちの頭はフル回転しているのだが、現実がついてこない。あるべき姿と現実を埋めることは時間の浪費だと考える一方で、あるべき姿と現実を埋めること以外の時間の費やし方があるだろうかとも自問する。僕が生きる前からあるべき姿が目の前にあったとするなら、僕が存在する意味はおそらくないだろうから。意味。そもそもこんな風に自分の「生きている意味」などということを問うような問題のたてかたが間違っているのかもしれない。自分の抱いているあるべき姿が正しいと信じているなら、それを伝えるだけでも時間を費やす価値はある。僕が快楽をおぼえるのは、あるべき姿を現実化する過程ではなくて、自分の抱いているあるべき姿をうまく他人に伝えることに成功した瞬間なのだ、ということに今さらながら気づかされる。僕は思考を伝えることに快楽をおぼえるのだから、あとは思考を現実化することに快楽をおぼえる人がいてくれればそれでいい。こういう線でよいのだろうか?まだ確信はもてない。
高橋源一郎『文学なんかこわくない』(朝日文庫)を読んだ。町の図書館でいまさらながら『ゴーストバスターズ』(講談社文庫)の冒頭部分を立ち読みして、「すごい、コーエン兄弟の映画みたい!」と感動したのもつかの間、たぶん最後まで読み通すことはできないだろうとあっさりあきらめて棚にもどした。ふつうのサラリーマンと比べれば読書量は格段に多い方だと思うが、それでも「文学」は読む訓練をサボっていると手に取るのに相当な抵抗感が生まれてくるものだ。『日本文学盛衰記』がすでに出版されているというのに。僕が高橋源一郎のあの読後感をふたたび味わえるのは、一体いつになるだろうか?
■ほんとにどうでもいいことなのだが、一晩かけてパソコンのCドライブにデフラグを実行した。そしたらWindows98のあらゆる動作が高速になった。ディスクの断片化が起こるような読み書きプログラムの設計になっているのは、ディスクがまだ高価だった頃の名残りなのではないか。つまり毎回の読み書きはできるだけディスクスペースを浪費しないようにし、その結果、削除を実行すると本来連続した領域にあるべきデータが断片化されてしまう。ディスクの空き容量はたっぷりあるのだから毎回余裕をもって書き込めばいいのに...。初めは速く感じたマシンもしばらく使ううちに遅く感じるのはこちらの感覚が麻痺してくるからではなくてディスクの断片化のために「本当に」マシンが遅くなっているからかもしれないのでみなさんも一晩かけてデフラグしてみましょう。