ゴダール『男性・女性』

■そしてゴダール『男性・女性』。手法的にはシネマ・ヴェリテとのこと。インタビューや象徴的なエピソードの堆積によって当時の社会情勢を素描するスタイル。アメリカ化=資本主義化するフランスとそれに抵抗する新左翼の政治的対立が、歌手になること・ミス19歳になること・私娼になることで資本主義のシステムに組み込まれていく女性と、ベトナム反戦運動や労働運動に組みすることでそれに抵抗する男性の恋愛とも対立ともつかない微妙な関係を通して描かれる。
女性は生き続け、男性はいとも簡単に死んでしまう。以上がこの映画のイデオロギー的な解釈。演出やスタイルについてはコインランドリーの場面でのジャンピングカットや、何度も反復される画面外での拳銃の発砲音、この映画そのものに白々しくイデオロギー的な意味をあたえるべく唐突に挿入されるタイトル。
どれもゴダール以外の何物でもない。政治的主張がわかりやすい分「筋書き」のある映画としても観られる作品。ただしこの映画を「オシャレな映画」として観ることがでいる人たちの神経が知れない。だって、まさにゴダールの映画を「オシャレな映画」として「消費」する人々こそ、この映画の中でゴダールが「消費社会の産物」として戯画化しているのだから。少なくとも監督の問題構成と同じか、それよりメタレベルの枠組みで観なければこの作品は観られたことにならない。