アレクサンドル・ソクーロフ『静かなる一頁』

■アレクサンドル・ソクーロフ監督『静かなる一頁』(1993年ロシア)、ジャン・リュック・ゴダール監督『男性・女性』(1966年フランス)を観た。前者は19世紀ロシア散文をモチーフにとあるがロシア文学の素養がないのでドストエフスキー『罪と罰』しか読みとれなかった。
画面はカラーの場面でもほぼモノトーンに近く、全体に粗い粒子で、水面からゆらゆらと立ちのぼる蒸気の主題が飽くことなく反復されているのとあいまって、あらゆるものの輪郭があいまいである。奥行きや立体感は意図的に排除され、動きの少ないカメラ・動きの緩慢な人物が奇妙に引きのばされた時間を際だたせている。
すべての場面を構成する舞台は、窓が開かれているときでさえ開放感に乏しく、迷路のように入りくんだ「閉じた空間」の中で息がつまるような会話と沈黙がつづく。長いワンカットは確かにタルコフスキーを思わせるが、ソクーロフの沈黙はタルコフスキーのように超越者を指示しているわけではないようだ。
少女の悲しい横顔に異常なほど粘液質のクローズアップで迫るカメラは、この映画が物語の持続のためにあるのではなく、ワンカット、ワンカットを分子化された映画的本質として自立させたいという監督の欲望を感じさせる。淀川長治はこの映画を評して曰く「この監督が『映画』をなめずり廻って『映画』を淫している、それに見とれてしまう」。なるほどの批評。