先週、慶応大学助教授・妹尾堅一郎氏の「問題学」についての講義を聴く機会があった

■先週、慶応大学助教授・妹尾堅一郎氏の「問題学」についての講義を聴く機会があった。研究者より実務者向けの内容で、「問題解決症候群」にかかっている日本人、というステレオタイプな指摘も一般の聴衆にとっては面白かったに違いない。問題解決症候群とは、「問題は誰かが与えてくれる物だと思っている」「問題には唯一の正しい解答がある」「その解答は誰かが知っている」という3つの「症状」からなる。要は僕も以前からここで書いている「問題解決型」人間ということだ。変化する環境の下で求められるのは問題の解決ではなく、問題を作り出すこと・見つけだすことである。このことはそろそろ書き飽きてきた。妹尾氏の問題学とは問題に対処するときに人間がとる思考様式一般を類型化し、問題=解決すべき物というパラダイム自体を超え出て、ひとつメタの立場に立とうとする新たな学問である、らしい。しかしこれはそのまま「そもそも問題とは何か?」という形而上学(meta-physics)の問いになる。経営学の視点から問題解決について批判的に考えたら、形而上学にたどり着きました、ということで、きわめてまっとうな思考の流れである。僕の場合まず形而上学があって、その上で企業経営を考えているので、妹尾氏の問題学が次に突き当たる壁が見えてくる。それは「相対主義」だ。何を問題ととらえるか、とらえないかは個々人の価値観による。それを認めてしまったが最後、本来「問題」に対して我々はどう相対するべきなのか、という「べき」論を語ることが難しくなってしまう。「問題」自体に対する相対主義が「問題」を問題にする問題学自体の相対主義に結びつかないためには、結局のところ「何を真とするか」についての議論が要請される。「問題は解決すべきものである」というパラダイムの超克は、「パラダイムの超克」という行為の動機そのものが何らかの「問題解決」的発想に根ざしているという内部崩壊の危険をはらんでいるということだ。もし同氏が問題学についてそこまで形而上学的に考える必要性なんかないでしょ、と軽~く考えているのであれば、問題は解決すべきものであるという常識に踏みとどまって、では、いかに効率よく解決するかをアングロサクソン的に考える方が実務者にとっては有益だろう。
■以前、中国製繊維製品の緊急輸入規制について読者の方から反論頂いた。その後考える暇がとれないのでメールでの議論は中断されているが、2001/02/10-16号英『エコノミスト』誌に中国製農産物の輸入規制は日中の外交問題に発展するおそれありという記事がある。かつて右派の攻撃対象は米国だったが、今やその矛先は中国に向きつつある。中国製品の輸入規制はさまざまな文脈で読めるということだ。また2001/02/08『Japan Times』紙に繊維製品の輸入規制について、日本の繊維業界内部での利害対立が取り上げられていた。中国を生産拠点とすることで製造コストを下げ、競争力を高めているファーストリテーリングのような勝ち組と、逆に安価な輸入品で打撃をうけた負け組との対立だ。輸入規制そのものはWTOも認めている。しかし業界団体の意思統一がとれなければ実際の発動は難しいだろう。両者の対立が先鋭化したとき、マスコミや一般消費者はどちらの味方をするだろうか。