QC(品質管理)活動のない職場に転職して痛感するの

■QC(品質管理)活動のない職場に転職して痛感するのは、QCがないことによる弊害は、QCがあることによる弊害よりも大きいということだ。QCは現場の担当者一人ひとりが毎日少しずつでも業務を改善しよう、あるいは何かしら勉強しようという動機づけには少なくともなっている。そういう動機づけがまったく存在しない企業では従業員は惰性で仕事をしやすい。QCが宗教に近くなるのには必然性があるのかもしれない。社会人になって、酒、タバコ、夕刊紙と、ただでさえ生活がダレてくるサラリーマンを勉強する気にならせるには、単なるお説教では効果がなく、ある程度の洗脳が必要だということなのだろう。
■昨日の日記は予想どおり大反響だった。ある読者の方によると今ビジネス書ベストセラーの『金持ち父さん貧乏父さん』には「家=資産ではなく、家=負債である」という趣旨のことが書いてあるらしい。さっき近所の本屋で立ち読みしたのだが、お金を産まない資産は資産ではなく負債だという意味のことが書いてあった。僕の考え方と一致している。「同じ買うなら良い物を」「安物買いの銭失い」という言葉があるが、どうやら僕は固定化された資産(B/S上では同時に負債でもある)に過剰な効用を求めず、流動資産をつねに厚めに持っておきたいという考え方のようだ。その効用について別の読者の方は、あくまで人生全体として最大効用を生むという観点で資産配分を考えるべきだとアドバイス頂いた。これは昨日の日記には書かなかったことだが「老後の安住の地」という効用は捨てがたい。だから大多数の人は持ち家にこだわるわけだ。ただ、これも生活費にあてられる年金(流動資産)があることが前提ではないか。もし僕らの世代が十分な年金をもらえないとすれば、ローンを払い終わった自宅を売却して年金に代わる生活費としての現金を捻出しなければならない可能性は高い。だとすれば、将来売却する自宅に対して、その売却価格の何割増ものローンを払うのは必ずしも賢明とは言えない。なぜ年金破綻のリスクが高まっているかといえば、やはりマクロ的な経済環境がバブル崩壊前とは根本的に変化しているということだ。その変化の中で従来と同じく持ち家主義が(少なくとも)「無条件に」正しいとは言えない、ということは正しい。この読者の方はもう一点「going concern」である企業は、寿命のある家計とは違うと指摘して下さった。この点はまったくそのとおりだ。別の読者の方は持ち家に住む満足は数値化できないと書かれている。しかし毎日1時間半以上の通勤時間を代償に一軒家を買ったとして、それが「数値化できない満足」だというのはすでに持ち家主義への不合理な偏向だといわざるを得ない。生活空間は自宅だけではない。そぞろ歩く街並みだって生活空間だ。ひきつづきご意見をお待ちしています。