一橋大学の米倉誠一郎教授がとある講演会場で「日本のサラリーマンは知的水準が低すぎ…

■一橋大学の米倉誠一郎教授がとある講演会場で「日本のサラリーマンは知的水準が低すぎる!」と目の前に座っているおよそ100人の日本人サラリーマンに一喝した。米倉教授は経歴によれば歴史学者のようだが、学者というよりアジテーターに近い。曰く、IT革命の革命性について認識が不十分なままIT革命を否定しようとしている人間が多すぎる。ごもっとも。反Napster論者への反駁も小気味よい。作品をタダでネットに流されたのではアーティストたちが良い楽曲を作れなくなるではないか、というのが反Napster論者。米倉教授は、アマチュア・ミュージシャンが「この曲を聴いて、気に入ってくれたら100円でもいいからちょうだい」とネットに流して100万人が気に入ったら1億円だ、と反駁する。つまり反Napster論者は既存のミュージシャンと既存の音楽産業の既得権益を死守しようとしているに過ぎない。Napsterの本質はそれが新しい音楽流通のインフラである点だ、という論旨である。なるほど。米倉教授が成田空港の入国審査がきわめて非効率な原因を「構造的」とするのも、教授の関心がつねに「構造」にあるからだ。天下り官僚が空港を高効率に経営できるわけがなく、そのしわ寄せは結局利用者の不便さに来る。確かに、羽田と成田の縄張り争いなど三面記事に載せる価値もないほど下らない三文芝居なのだが、それを大真面目に演じるほどの田舎役者が空港経営の実権を握っているのでは、そもそも成田が国際ハブになどなれるはずがないのだ。「何が本当に重要か」について根本的に認識が間違っている。それを多くの国民が分かっているのに、正すすべがない。米倉氏の言うとおり、日本の抱えている問題はきわめて脱構築の困難な「構造」なのだ。
■フジTVのドラマ『やまとなでしこ』がたった1クールで終わってしまった。物語そのものは教訓的でつまらない(同じドラマをバブル絶頂期に放送したのならほめる価値もある)が、松嶋奈々子の演技のディテールがなかなか見せるので、もう少し引きのばして欲しかった。特に父親に一等航海士のウソをつかせる回。一介の漁師に過ぎない父親が、娘の幸福な結婚のために一世一代の大芝居を打つ(これもありがちな筋)。最後、バス停で父親との別れ際、父親を見つめる松嶋奈々子のつり上がった左の眉に鳥肌立った。言葉もなく唇をかみしめて、ただ父親をじっと見つめる。その表情だけで、確かに彼女はこの父親の娘なのだ、ということを松嶋奈々子は見る者に納得させてしまう。で、このドラマの何にいちばん失望したかというと、父親から彼女が受け継いだ頑固さ(よく言えば信念)は、彼女を相当孤独に追いつめるはずなのだ。TBSの『百年の物語』では意固地さがもたらす孤独をかなりいいところまで追究できていたが、フジTVにそこまで期待するのは間違いということなのだろう。で、これは僕が松嶋奈々子のファンになったということなのだろうか?