柴田昌治『なぜ会社は変われないのか』

■組織人はどうして(僕も含めて)自部門の利益にしたがって動いてしまうのだろうか。究極のところすべての人が自分の利益に忠実に動けば、最善ではないにしても最悪ではない結果を生むことができると大多数の人々が知っているからではないか。
たしかに自分の利益にしたがえば他者との衝突は生まれるが、それは自己は他者と和解しうるという根拠のない楽観論が生む無秩序よりもまだ御しやすい状況なのかもしれない。ちょっとしたベストセラーになった柴田昌治の『なぜ会社は変われないのか』から始まる3部作(日本経済新聞社)を読んでいて、ふとそんなことを考えた。
そもそもこの本の大前提はグローバル化の大競争時代を生きぬく企業になるために、というものだ。アングロサクソン流のドライな経営革新手法に変わって、日本の企業風土にあった方法論で組織風土の改革を行うというのが、柴田氏をはじめとする(株)スコラ・コンサルタントの方法論だが、それとて究極的には競争に勝ち残るための戦略なのだ。
一つの企業組織の中で部門間の意志疎通を改善することでその企業の業績が改善するということは、一方には必ず部門間の意志疎通が悪い負け組企業があるということである。勝ち残った企業の営業部はたしかに部門最適化には陥らず、設計部となめらかな意志疎通ができるようになったかもしれない。しかしそのようにして部門間の風通しがよくなった企業は企業を一つの「自己」と見たとき、まさに自己内部の「部分最適化」を完成したことになるのだ。
一企業内の部門どうしで見たときの「リ・コミュニケーション」(上掲書参照)は、一国内の企業どしで見たときのディス・コミュニケーションを結果として産み出している。この本に書かれている手法は部分最適化を否定しているわけでは決してなく、部分最適化の境界線を引きなおしているだけだとも言える。理想を追求しているわけではなく、単に「より良い」といった程度のものを実現しようとしているだけなのだ。
ビジネスの世界においては基本的に理想を語ることはできない。「最も良い(best)」という形容詞は、実はつねに「より良い」の強調形でしかない。部分最適化の打破というスローガンに偽善の臭いをかぎつけるのは、決して的はずれなことではないのだ。