政治にあまり関心はない

■政治にあまり関心はないが、今回の内閣不信任案、加藤氏支持者は一体誰なのか、考えさせられる。あるTV番組では「組織の中で物を言えないサラリーマンの支持が多い」と伝えられていた。また今朝のフジテレビでは加藤氏自身がグループの若手と「クリスマスにはSPなしでゴルフしようと話している」など「討ち死に」を臭わせる発言をしている。加藤氏を評価できるとすればそれは自民党政治にひとつの「無」、何もない場所を作り出した点だ。つまり誰もが自分の好きなように解釈しながら、結果的に加藤氏支持の立場で一致できるような純粋な器のような空間を作りだしたことである。加藤氏の支持者は左から右まで様々なのだろうということだ。上述の「組織の中で物を言えないサラリーマン」は、もしかすると規制緩和や競争原理の強化の下、「負け組」の人々が加藤氏に保守の揺りもどしを期待しているのかもしれない。だとすれば加藤氏は超保守の支持を取り付けていることになる。逆に組織の中で十分な発言力を持つ地位にいながら、その地位のためにかえって革新的な行動を起こせない人々が加藤氏の「討ち死に」にカタルシスを感じて、自分たちは今までどおりの地位に安住したいのかもしれない。だとすれば加藤氏はふつうの自民党支持層である保守層の支持を取り付けていることになる。さらに当然のことながら自民党を政権政党から引きずり降ろそうとしている人々も加藤氏を支持する。小さな箱にボールがきっちり詰まっているとき、事態は膠着したままで変動しようがないが、ひとつでもボールを取り除いてやれば上下左右に動かすことができる。加藤氏はその「一つの空間」を作り出せればそれでいいと思っているのではないか。だから自民党総裁になることにも、野党との積極的な連合にも執着がないようなポーズがとれるのだろう。ただしそれは単なるポーズでしかなく、一方の野中氏がTVで「加藤氏の行為は人道に反する」など、あまり正直に正論を吐きすぎるのに対して、加藤氏は「執着のなさ」というポーズがかえって無党派層を味方につける正しい戦略であることを見抜いている。結局のところ野中氏は党にしか関心がないことをあまりに正直に言いすぎ、加藤氏は国民こそ第一義だというポーズをとることに成功している(ホームページもその一手段に過ぎない)。今の時代、国民がもはや「人道」や「大義」といった組織の和を重んじる儒教的な価値観で生きていないということを、野中氏はまったく見抜けていない。必要なときには恩師(宮沢氏)に刃を向けることもやむを得ない。国民が自民党政治に不信感を抱いているとすれば、それは政策についてではない(森政権が大きな失政もないのに支持されないのはそのためだ)。政策という形に具体化する以前の、自民党の価値観やものの考え方、その「組織の哲学」はもう時代遅れだと言っているのだ。加藤氏はそのことに気づいているが、野中氏はまったく気づいていない。そこが両者の根本的な違いである。