啓蒙主義と自然主義について考えた

■啓蒙主義と自然主義について考えた。日本という国は残念ながらバカであることを誇れる社会になってしまっている。裏表がなく素朴であることを誇れる社会になってしまっている。今日の日経新聞を読むと、東南アジアの技術革新は日本を先頭に残りの国が後を追う形だったが、最近それが崩れてきていると書いてある。現実としてインターネットの単位人口あたり普及率では香港とシンガポールが日本をしのいでいる。東南アジアの隣国とわが身を比べて神経をぴりぴりさせるのは「征韓論」以来の日本の悪しき伝統だが、単純に情報リテラシーの問題として見たとき、日本のインターネット普及率の悪さは、教育水準の低さと、社会の硬直性が背景にあることはまず間違いない。日本はこざかしい人間より素朴な人間を愛する文化から脱皮できない。かつ、なかなか古い習慣から抜け出せない。どうしても「自然な日本らしさが良い」という自然主義の方向へ傾いてしまう。知性より人情を過度に重んじる。経済的な状況が悪くなったり、社会がなんとなく不安な空気におおわれるとなおさらそうなる。オジサン連中が若者の「風紀の乱れ」を嘆くのは勝手だが、それは時代の変化に応じた教育をオジサン連中が作れなかったためであって、決して「日本の道徳」が失われたからではない。前に進むのが必要なときにどうして後ろへ下がろうとするのか。もしかするとこの国は旧習のぬるま湯に浸ったまま沈んでいく運命なのかもしれない。
■地下鉄のホームで若者の電車内でのマナーに関するポスターをよく見かけるのだが、酔っぱらったサラリーマンのマナーに関するポスターはまったく見かけない。最近転居したせいで首都圏通勤者らしく1時間ほど電車に揺られて帰宅するのだが、2日に一度はオジサンどうしの喧嘩を見物できる。ヘッドフォンの音がうるさいとか、床に座り込むなとか、それはそれとしてもちろん若者に対して注意すべきだが、いい年をしたオジサンどうしの喧嘩の方がよほど迷惑だ。営団地下鉄はなぜ彼らを非難しないのか。ポスターを作ったのが他ならぬオジサンだからに違いない。自分たちのことを棚に上げるオジサンの無神経さにはいまさらながら腹が立つ。
■通勤に往復2時間も費やされると生活がガラッと変わる。睡眠時間が1時間減ることで昼間の性格が少し変わった。昔から感情の起伏は少ないが、慢性的な寝不足でさらに感情の振幅がせばまった。淡々と効率よく仕事をするにはその方が好都合だが、おかげで月曜から金曜までは「仕事マシーン」になり、仕事のこと以外に気を回せなくなった。寝不足で右脳の働きがガクンと落ち込み、左脳の処理能力もやや落ちる。朝、丸1時間じっと立ちっぱなしなので膝が悪くなった。朝、体調が悪くなると満員電車で1時間も我慢できないので、途中下車せざるを得ないこともある。途中下車した駅のトイレやホームで過ごす時間はかなり虚しい。会社に着くとまた食事が欲しくなるほど空腹になっていることがある。帰りは帰りで1時間空腹を我慢することはできないので、夕方に間食をするようになった。その結果、食費が増えた。以前より疲れやすくなったので今までより多く糖分をとるようになった。ひとことで言うと精神的にも肉体的にも不健康な生活になったということだ。しかし、これが首都圏在住の会社員の標準的な生活なのだ。