経済学の期待形成に関する理論

■経済学の期待形成に関する理論(だっけ?)に「美人コンテスト」のたとえがあるのをご存じだと思う。美人コンテストは女性差別の含意があるが、ここではあえて原典に忠実にそのままのたとえにさせて頂く。たとえばあなたが美人コンテストの審査員だとしよう。「あなたが最も美人だと思う女性を選んで下さい」と言われればあなたは素直に自分が最も美人だと思う女性を選べる。この場合には最終的にどの女性が一位になるかは比較的予想しやすい。しかし、もしあなたが「このコンテストで一位になると思われる女性を選んで下さい」と言われたらどうするか。他の審査員の顔を見回して、この人たちだったらどの女性を選ぶだろうかと予想しなければならない。しかしその時点であなたはふと思い直す。「ちょっと待てよ、他の審査員も今の自分と同じことを考えているとしたら...」つまり他の審査員たちもあなたが選ぶだろう女性を選ぼうとしているかもしれない。だとすればあなたは素直にあなた自身が美人だと思う女性を選んだ方がいいのかもしれない。しかしもし他の審査員が同じように深読みをしているとすれば、やはりあなたは他の審査員の顔を見回して、この人たちだったらどの女性を選ぶだろう...と、あなたの深読みは限りなく続く。これが株価形成の基本的な理論だ。株を買う人は自分が好きな株を買うわけではない。他の人が買うだろう株(=値が上がるだろう株)を買う。上のたとえで言えば「他の審査員が選ぶだろう女性を選ぶ」ことになる。ところでこの経済学の理論はそのまま人間どうしのコミュニケーションにも応用できる。大人のコミュニケーションは自分の思ったことを素直に言えばいいわけではない。ある程度は相手の期待を反映したことを言わなければという配慮が自然に働く。しかしその配慮が強く意識されたときに問題が複雑になる。美人コンテストのたとえで言う、際限ない深読みが始まってしまうのだ。自分としてはこういう結果になるのが望ましいという想定がある。その想定を現実のものにするためには、その想定にしたいという自分の思いを素直に言った方がいいのだろうか、と考える。そのとき、自分も「素直に言う」ことに疑問を感じているなら、相手も同じように「素直に言う」ことに疑問を感じているはずだと考える。そうすると自分は「素直に言わない」方が得策だということになる。素直に言わない方が、相手はそれを素直に取らないだろうから、結果として自分の素直な気持ちが相手に伝わることになるからだ。しかし、もし相手も同じことを考えているなら、相手は自分に対して「素直に言わないでくれ」ということを素直に言わないはずだ。このとき、もし相手が自分に「素直に言って良いんだよ」と言ってくれているなら、相手は実は「素直に言えばいいってもんじゃないんだよ」と言っていることになる。この時点で相手が本当に「素直さ」を求めているのか、「素直に言わない」という形での素直さを求めているのか分からなくなる。それが分からない限り、自分は「素直に言う」べきなのか、あえて「素直に言わない」べきなのか決定不可能になる。つまり、期待形成にまつわる以上のような議論からわかるのは、お互いがお互いの望んでいることを読みとろうとしている状況にあるとき、事前にその結果を予想することはきわめて難しいということである。人のコミュニケーションというものはそれくらい危うい均衡の上に成り立っている。このことを哲学の分野で理論づけたのはご存じのようにヴィドゲンシュタインなのだが、今日のところはそこまで突っ込む余裕もないのでまた後日、ということで。