何か買い物をするときの「買い方」の選択肢は昔と比べてずいぶん広がっている

■何か買い物をするときの「買い方」の選択肢は昔と比べてずいぶん広がっている。昔なら店頭におもむいて実物を見て店員と交渉しながら選ぶというのが普通のやり方だが、今ならインターネットで特売品を探すこともできるし、規格品ならオークションで安く落札してしまう手もある。いざ店頭で選ぶとなると時間的・体力的・精神的な制約があるが、オンライン・ショッピングなら数日かけて気の済むまで検索する慎重な買い物ができる。それだけ流通の環境も変わり、消費者にとって選択肢も広がっているのだから、逆に言えば広がった選択肢を有効活用できるかどうか、消費者の情報検索能力と頭の柔らかさにかかっている。いつまでも旧来の「店頭型」買い物法にこだわっていると、良い物を選んだつもりが、単に高いモノを買わされているだけということになりかねない。こと買い物という行為に関しては古い知恵がじゃまになる場合もあるということだ。僕らの世代は年長者と比較して賢明な消費者として誇るべき能力をもっているのである。一口に経験と言っても時代を経ても役立つ経験と、時代とともにムダになる経験もある。年長者が無条件に若者より思慮分別があるという考えは端的に間違っている。
■東京を醜い街にしているのは密集した戸建て住宅であるという主張にはまったく賛同だ(もっとも僕の利害が戸建て住宅所有者と完全に対立しているからだろうが)。だがこの主張を擁護するのに阪神大震災のような災害時の被害を小さくするためという理由を持ち出すのはあまり有効とは思えない。たしかに木造戸建て住宅の密集地はひとたび大震災が来れば壊滅的な被害を受ける。今、東海大地震が来れば死者が最も多いのは下町であるのは確実だ。実際、神戸の長田がそうだった。しかし日本は土地所有への執着が異常に強い国なので、持っている土地が小さければ小さいほど、死んでも土地を手放したくない人が多いらしい。ポイントはこの「死んでも」というところだ。都心で戸建て住宅を持っている人の価値観は倒錯している。つまり自分の命より土地の方が大事なのだ。死んでも子孫に土地を残す。そんな価値観を持っている人たちに対して「大地震が来たらあなた死んじゃいますよ」と言っても何の説得力もない。では現に土地を持っている人から土地を収容して、災害リスクの少ない街を作るにはどうすればいいのか。強権発動しかない、ということになるらしい。日ノ出町での石原都知事の決断がその先端事例だ。ところで墓地に対する考え方も同じかもしれない。死んだ後まで一定の大きさの土地を占有しなきゃ気が済まないのだから。