夏の終わりになると無性に純文学が読みたくなる

■夏の終わりになると無性に純文学が読みたくなる。涼しくなった夕方の風が確実に過ぎ去っていく季節を感じさせる、その喪失感が純文学を読み終えたときのそれとよく似ているからだろう。一冊の小説を読み終えたとき、あるいは一本の映画を見終えたとき、心に残る大きな空間のようなもの。この幸福な時間がいつまでも続けばよいのにという思い。それが夏の終わりによく似ているからだろう。また来週になれば会えるとわかっているのに、改札口で別れてひとりで歩き出すとき、胸の奥をしめつけるせつなさ。決定的ではないが、平気な顔をすることもできないその喪失感に、適切な言葉をあてはめることはとてもむずかしい。
前に進むということは、そのぶんだけ何かを失うということでもある。何かを失わなければ、僕らは前に進むことができない。喪失感は端的に不幸なことなのではなく、むしろ来るべきものを告げ知らせているのだ。最近になってようやくそのことがわかってきた。