ホームページを開いているとよくうける誤解がある

■ホームページを開いているとよくうける誤解がある。このホームページが僕の人格のすべてであるとか、僕自身がこのホームページと同じくらい饒舌だったり攻撃的だったりするとか、僕が四六時中日本経済や企業経営のあり方を考えているとかいったものだ。当然のことながらこの日記も僕の私生活をそのまま暴露したものでは決してない。かなり脚色されているし、そもそも本当に大事なことをこんなオープンスペースに書けるわけがない。それに○月×日に起こったことをつねに正直に○月×日の「愛と苦悩の日記」に書くわけでもない。そもそもそんな風にプライバシーを安売りするのはリスクが大きいし、僕の本当の日常生活をそのまま日記やエッセーにしたって面白くも何ともないじゃないか。つまり僕はこの「think or die」においてある程度まではウソツキである。
■...と、ここで議論が終わらないのが「think or die」の「think or die」たるゆえんだ。みなさんご承知のように、これは有名なウソツキのパラドックスである。「僕はウソツキです」と言った途端、「僕はウソツキだ」ということ自体がウソになるので「僕は正直だ」ということになる。もし「僕が正直」なら、「僕はウソツキだ」という言葉も真実だったことになり、やっぱり「僕はウソツキだ」ということになる。以下同様。しかも僕はこのホームページにおいて「完全な」ウソツキなのではなく、「ある程度まで」ウソツキなのだ。この「ある程度まで」が問題をさらに微妙にしている。結局のところ人は何が本当で何がウソかはっきり分かってしまっている世界の中で生活しているのではなく、本当とウソを見分けていくことで日々生きている。本当とウソが初めから分かってしまっているなら、こうして「生きる」ことに、そして何かを「書く」ことにどれほどの意味があるだろうか?僕らが生きているのは「要するに」とまとめられるほど単純な世界ではないのだ。
■高校時代の歴史の先生が言っていた。「要するに」を連発する人間ほど、頭の中が整理されていない、と。