株主による企業評価の公平性・透明性を確保するために導入された時価主義・年金会計な…

■株主による企業評価の公平性・透明性を確保するために導入された時価主義・年金会計など新会計制度の影響で、事実上の倒産に追い込まれる企業が続出している。新聞・TVなどを毎日見ているとまるでこれこそが長年にわたって資本主義という制度が追い求めてきた真理のような気がしてくるが、みなさんには依然として「会社は誰のために存在するのか?」と問う権利が残されている。「株主」という人々の利益のために何万という「従業員」が路頭に迷うことが無条件に「正しい」はずはない。経済というシステムの中では誰かが得をすれば、必ず誰かが損をしている。極言すれば、新会計制度導入をはじめとする経済政策とは「誰に向かって利益を誘導するか」のひとことに尽きる。最近はたまたま「株主」に向かって利益を誘導することがあたかも正義であるかのような言論操作がなされているというだけのことで、時価主義や年金会計そのものが「正義」であるわけでは決してない。そのことに気づけないなら、残念ながらあなたはすでに衆愚の一部を構成していることになる。
■観察者が自分の観察している当の環境に影響を与えないというのは素朴すぎる考え方で、いまどきそんな考えの観察者はいない、と思ったら大間違いだ。「日本経済の復興はIT産業が牽引役」と主張する経済学者やプロITの証券アナリストは明らかにその種の「素朴な観察者」にあたる。彼らは世の中の現実の流れを冷静に観察しているつもりで「変化は止められない」と説くが、変化させるべくプロパガンダを行っているのは観察者である彼らなのだから。
■ローカルのWebサーバで動くCGIスクリプト(Perl)が、契約プロバイダのサーバへアップするとInternal Errorになる。原因はおそらくPerlの互換性問題。オープンソースは開発環境として柔軟性があって使いやすいというのは情報技術者なら誰もが一度は口にしたいカッコイイ台詞だが、正確に言えば「一部の人たちにとって使いやすい」というだけのことだ。たとえ自由度の少ない閉鎖的な開発環境でも、ある人にとっては効率の良いツールになる。これは当たり前の相対主義で、世の中に「絶対」使いやすい開発環境などという「絶対」はそもそも存在しないのだ。にもかかわらず反・マイクロソフト、反・オラクルなどと、情報技術の世界に不毛な政治闘争を持ちこんでいる情報技術者は少なくない。そういう人たちは「良識派」のつもりなのだろうが、議論とは本質的にニヒリズムの上に建てられた楼閣だということを分かっていない。見る立場によって価値判断は変動する。その動きそのものが「議論」なのであって、何がなんでも○×は正しい!と言い張るのは単なる独断、憶見にすぎない。
■衣服は自己と環境のインターフェースだ。インターフェースは内部を外部化することに存在理由があるのであって、もしそのインターフェースが無意味になるときがあるとすれば、そもそも内面化する内面が存在しない場合だけだ。貧弱なインターフェースは過剰な内面化の結果ではなく、不十分な内面化、外部と内部の不分明の兆候である。