篠田節子『女たちのジハード』

■『女たちのジハード』を読み終えた。たしかにこの小説を読んだOLは大活躍のヒロインたちに励まされ、勇気づけられるだろう。この小説のヒロインたちは困難な状況を克服して自ら道を切り拓く。ただ、だからと言って頑張らない人に存在価値がないということではない。この小説を読むと、あたかも頑張らないOLは「ダメな女」であるような気がしてくる。
しかし現実の世界には夢を叶えられずに淡々とした日常生活に埋もれる女性も男性もいる。むしろその方が多数派だ。僕はそうした人たちの日常もそのままで価値があるものとして肯定されるべきだと思う(もっとも篠田節子はそれを他の小説でやっているのかもしれないが)。
もう一つ、この小説に理想的なものとして描かれる男性像は驚くほど旧来の「男らしさ」のステレオタイプに縛られている。しかしそういった「男らしさ」の規範意識こそが、この小説のヒロインたちを生きにくくさせている「男性中心社会」の根っこにあるのだ。
この矛盾を突かずに「ジハード」が描けるのか?という疑念はどうしても残る。これは篠田節子の「世代」のせいかもしれない。たぶんこのホームページが対象にしている団塊ジュニア世代にとっては、この小説の描く男性像はちょっと時代がかって見えるのではないか。以上のように「弱者に対する苛立ち」と「伝統的な男性観」、この二点が『女たちのジハード』の直木賞的限界だと感じた。「頑張らない女」にも、「男らしくない男」にも存在価値はあるのだ。