夏目漱石『彼岸過迄』

■ひさびさに純文学を読んでいる。お気に入りの作家の一人、夏目漱石の『彼岸過迄』(岩波文庫版)。漱石も僕にとっては大江健三郎と同じく何を読んでも「ハズレ」のない作家の一人。
p.252~253の引用、須永の恋愛観。
「僕も男だからこれから先いつどんな女を的に激烈な恋に陥らないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合いの激烈な競争を敢えてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも、勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわが有に出来にくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争に値しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡かない女を無理に抱く喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放って遣った時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕を淋しく見詰めている方が、どの位良心に対して満足が多いか分からないのである」