米国が発明した「経済のグローバル化」という新たなイデオロギーを

■米国が発明した「経済のグローバル化」という新たなイデオロギーを、多くの日本企業が鵜呑みにして追随しようと必死だが、今まで企業が負担していたコストを、より見えにくい社会コストへ転嫁しているだけという側面もあるのだという自覚が日本の経営者にあるだろうか?日本では今まで企業がsafety netの役割を果たしていたが、グローバル競争の中でそんなコストを負担していられない!と雇用や福利厚生を猛烈な勢いで削減しつつある。米国型資本主義に追随することは、同時に貧富の格差や銃犯罪・少年犯罪などの社会不安もある程度は輸入することになる。現にそうなりつつある。日本の経営者の多くが「名誉白人」感覚からぬけだせずに、WASPへのコンプレックスから「グローバリゼーション」の尻馬にのっているのでなければよいが。確かに短期的には日本企業の業績は回復するだろうが、その結果として生まれる就業意欲のない大量の若年層や、再就職の見込みのない熟年層が、今から10年後、20年後の日本の社会でどれほどの不安定要素になるか。また、その不安定さを解消するためにどれほどのコストを僕らが負担しなければならないか。そう考えると今、日本企業がリストラで削減しつつある費用は、そのまま将来の税負担として僕らに跳ね返ってくるだけではないかという気がする。世の中に「絶対的な善」なんていうものは存在しない。しかし日本の経営者はまるで米国型資本主義が「絶対的な善」であるかのように、あり金のすべてをそこに賭けようとしている。結局これまでの横並び体質や、高度成長時代のイケイケ精神を「グローバリゼーション」を口実に再び繰り返しているだけではないか。